日本こども未来研究所は、特定非営利活動法人「北摂こども文化協会」が設置した社会教育研究機関です。 |
大阪の北部で地域密着型の社会教育及び文化芸術事業を手掛ける北摂こども文化協会が2004年に設置しました。 |
北摂こども文化協会は1970年代に誕生した「豊能おやこ劇場(大阪府)」を前身とし、1999年に法人化するまでに、 |
既に30年近くの歳月を投じて、地域の子どもや若者、そして大人(子育て中の親)のための教育文化活動を続けて |
きました。その歴史を紐解くと、70年代から80年代の間は、運営委員会を中心とする活動の担い手たちが、「新興 |
住宅地に社会教育と文化を!」、「我が子のためにより良い文化環境を!」という情熱に基づいて、活動を企画し |
運営して参りました。 |
しかし90年代に入り、社会教育活動の実践家として経験を重ねた担い手たちは、疑問を抱くようになりました。 |
「大人の自己満足の事業になってはいけない」、「親の情熱がむしろ子どもの主体形成を妨げることにつながら |
ないか」・・・。折しも、1994年は、日本政府が国連「子どもの権利条約」に批准した年でもあります。「子どもにと |
って最善の利益」を追求することを約束した日本社会にあって、私たち大人は子どもたちにどのような活動の場 |
を提供するべきか、あらためて考え始めました。子どもの自立につながる真の参画とは何か。「子どもに与えた |
い経験はたくさんあるけれど、それが子どもにとっての押し付けになってはいけない」・・・と。 |
このような流れの中で構想されたのが、手がけた実践の成果と課題を分析する教育研究機関の設置でした。 |
豊能おやこ劇場は90年代半ばには「おやこ劇場全国連絡協議会」から脱退し、「豊能文化芸術振興協会」、 |
「豊能こども文化協会」と名称を変えつつ、公益性のある子ども・若者向けの地域活動を提供する社会教育団 |
体として組織を再編しました。そして1999年には特定非営利活動法人格を取得し、2000年に現在の名称「北摂 |
こども文化協会」に改めました。 |
この組織再編の中で、教育分析の専門家を交えて実践分析を行う必要性が確認され、初めは当研究所の |
前身にあたる事業検討委員会がその役割を担っていました。その後、検討委員会が積み上げてきた成果を礎 |
に、研究所として研究機関を独立させる意義を再確認し、2004年に「日本こども未来研究所」が誕生しました。 |